法多山のおだんご
去年の12月29日に元ダンナと法多山に行きました。
離婚届を大晦日に出したのでホントに離婚直前のお出かけだったわけなんですが、法多山は別名「縁切寺」と呼ばれているらしく、カップルで行くと別れてしまうという言い伝えがあるそうです。なので、元ダンナは「俺たちにはちょうどいいな」なんて言っていました。
実は法多山に行ったのは団子が目的でした。元ダンナが私にどうしても食べさせたかったみたいなんですが、
なんと12月29日は団子屋さんがお休みでした…_| ̄|○
年に数回しかない休みの日にちょうど行ってしまったんです。年末年始も営業してるっていうのになんとタイミングの悪い…(というか、年末年始のかきいれ時に備えてのお休みの日だったみたいですが)
というわけで、その日は二人してガッカリして帰ってきたのでした。
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それでも私に団子を食べさせたい元ダンナ
私は特に団子に執着はなかったのですが、元ダンナはどうしても私に食べさせたいらしく、別居後も「法多山に行くけど団子買ってこようか?」とメールで言ってくるので「別にいらない」と断っていました(なぜそんなに食べさせたいのだろう…)
そして、元ダンナ、ついに買ってきてしまいました。
わ、わかりました、せっかくなので有り難く受け取ります。
開けると中身はこんな感じでした。縦じゃなくて横に並ぶ団子だ!おもしろーい!
お味のほうは至って普通でしたー\(^o^)/
法多山のだんごの由来
せっかくなので由来を調べてみました(以下コピペです)
法多山はその昔、神亀2年(725年)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山であり勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えた。特に法多山では、毎年正月江戸幕府の武運長久、天下泰平、五穀成就の祈祷を奉修し、祈祷ご符と当地名産品を献上する習わしであった。十三代将軍家定の頃(1854年)門前に住する寺士八左エ門の発案による観世音名物団子が登城の土産に添えられたを始めとする。将軍家より「くし団子」とご命名賜り以来、一般参拝客の賞味するところとなり、俗に厄除団子と呼ばれ親しまれ今日に至る。
そして五本の串にさした団子は、頭・首・胴体・手・脚を表しており、団子に厄除けの意味を込めた事だと伝えられています。
また、お団子の食べ方やお団子をおみやげとして配る習慣など、法多山参拝者各々の思いがあるようです。
法多山だんごの由来|厄除法多山名物だんご Official Websiteより
ああ、なるほど。確かに横に5本ずつ並んで串に刺さってますね。大した意味はないのかと思って食べてましたが、「頭・首・胴体・手・脚」ってことなんですね。
えっと…(゚ー゚*)。oO…だったら縦に並べたほうが良くない?
あ、そういうこと言っちゃいけませんかね、すみません!
ちなみにアクセスはこちら
交通案内|厄除法多山名物だんご Official Website
まあ「縁切寺」なんてのはただの迷信でしょうから、是非足を運んでみてはいかがでしょうか(※その後別れてしまった場合は当方では一切責任を負いかねます)
それじゃ!